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元ボロ鯖。今試練でFFXIを楽しんでまったり進んでいくおばちゃんの日記


by feiry
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揺れた!

今回の、新潟沖地震で被害に遭われた方々へ、心よりお見舞い申し上げます。


大きな地震があるたびに、29年前・・・・(年がばれるがまあいい・・・)に起きた、「宮城県沖地震」の時の事を思い出します。






中体連の時期でした。
野球の応援に行っていた私は、家に帰るためバスに乗り込みました。

「県庁・市役所前」今では「区役所・合同庁舎前」なんてなってたような・・(´-ω-`)
そこのバス停に停車した時・・それは起こりました。
激しく揺れるバス。膝を座席に強打し、うずくまる暇すらなくそばにある何かにしがみつく。倒れる人すらいました。外では街灯が激しい揺れで電球を覆っている、しゃれたガラスのカバーが割れています。バス待ちをしているひとも、ほとんどの人が歩道にしゃがみこんでいました。

揺れが治まり、何事も無かったかのように走り出すバス。

しかし、いつも見慣れた景色が一転しています。

割れたガラス。酒屋さんでは割れたビンが散乱し、コンビニでは商品が棚からほとんど物が落ちている。塀が倒れ・・・・

『なんだ・・・これ・・・・』

バスの中もざわざわし始めます。

『妹たちは・・・・両親は大丈夫なんだろうか・・・』
不安になってきました。当時、年の離れた妹はたちは5歳と2歳。 16時すぎなら家にいるはず・・・

やっと、降りるバス停に着く。まだ田んぼだったそこに「カエル」の鳴き声はいっさいしなかった。
歩いてみたら強打していた膝がけっこう痛くて、ゆっくり歩き始めたのもつかの間。
我が家のある団地に入って、急な坂道であるにもかかわらず、痛さも忘れ走りました。

あったままの姿で倒れているブロック塀。地割れして、家が真ん中から逆「へ」の字にへこんでいる家。割れた道路。割れた窓ガラス。倒れた植木鉢・・・・
ひと気のない・・・団地・・・・・

家に着き、外見をみて唖然・・・

新築の家が・・・・
網戸が吹き飛び、割れて飛び散った植木鉢・・・
慌てて外階段を登ると、その先に大きな血溜まり・・・・・・・

血の気がすーーーーーーっとひきました。

家族の名前を呼んでも反応がありません。玄関にはいると愛鳥のオウムが篭ごと棚から玄関の隅に転がっていました。ぴくりともしないので・・・死んだとおもったら、篭を直してなでてやったら、復活。放心状態だったらしい。(この後から、いっさい篭からでなくなったのでした)

家の中は・・・言葉に言えないくらいものすごい常態。
食器棚から食器がほとんど落ち、冷蔵庫は倒れ、棚にあったものは全て吹き飛び・・・
自室も壁につけていたスチール製の机が30センチくらい移動し、本棚の中身は全て吹き飛び、網戸は外れ、窓がへんな開き方してました。
両親が紳士服の仕立て業していた当時、仕事場があるわけですが、いつも整然としているそこがめちゃくちゃに・・・・

へなへなと座りこんだ私に・・・声をかけてくれる人はだれもいませんでした。

隣近所をまわっても誰もいない。今思えば、「避難」してたのよね・・・(汗)

あの血は妹のではないのかと・・もう・・どうしていいのかわからなくなっていたとき、みんなが少しづつ戻ってきました。

「お母さんが、割れた鉢でかかとを切ったから、病院にいるからね。妹さんも無事よ」

この言葉に、ちょっとほっとしたのはいうまでもないですね。とりあえず、留守番をしながら座る場所をなんとか確保するべく片付けはじめるものの・・・なにから手をつけたものやら・・・

テレビは当然つくわけもなく、水道、電気、ガスもストップ。幸いうちの団地はこのころまだ「プロバンガス」だったので、ガスだけは使えた。
小型ラジオを引っ張り出して、つける。

被害のひどいところと、たいしたことないところがあったらしい。
我が家のある古い団地はものすごく被害がひどいが、隣の新しい団地は「人形がひとつたおれた」程度だったらしい。地盤でこんなに差が出ていた。

家族が戻り、動けない母に妹たちをあずけ、父とふたりで、とにかく「座る」場所を確保するべく、片付け。
母の話しでは、病院内もめちゃくちゃで、怪我をした人が次々とくるのはいいけど、レントゲンの機械は倒れ、注射器の入った棚もたおれ使えず・・・・・
「みんなすまんなぁ・・・放射能やばいかもしれん・・」
と、先生がぼやいていたとか・・・・(汗)
麻酔なして深くきったかかとを縫ってもらったと・・・・

同じ町内の人が「井戸つかえたから水もらいにおいで」と、声をかけてくれて歩いてる。
一番下の妹は、何度言っても私から離れようとしないから、妹をおんぶして、大きなやかんに水を何度ももらいにいったっけ・・・

繰り返しくる余震。

怯えてしがみついてくる妹たち。

配給されたのは、5人家族に「ボンカレー 一個」
どうしろと・・・・・

寝る間を惜しんで、片付け、なんとか寝る場所を確保できたのは翌日の夕方。
普通の生活にもどるまで、一月はかかったと思います。

近所の人たちがもみんなで声をかけて歩き、自分も大変だけど、それは皆同じと協力しあっていた事を思い出します。
学校どころではなかったけど、行っておいでと言ってくれた家族と隣近所のみなさん。
山形の親戚も駆けつけてくれ、持って来てくれたおにぎり・・おいしかったなぁ。

そう言えば、ぶつけて痛かった膝。三日ぐらいしてから、ものすごい痣になってたのを発見。・・・気がついたらごっつい痛くなったっけ・・・・・

今、現在。あの時の私たちと同じような思いをしていらっしゃる方がたくさんいらっしゃいます。
遠くから皆さんに、いちにちでも早く平穏がもどってくることを祈り、思い出話しを終わりたいとおもいます。
by feiry | 2007-07-17 06:26 | 日常